ユース・アメリカ・グランプリ Top12
2022年4/11〜4/19までアメリカ、フロリダ州タンパで行われたユース・アメリカ・グランプリの決選に出場してきました。各国の予選を勝ち抜いた競合200組以上いるアンサンブル部門でTop12に選ばれました。応援してくださった生徒の皆様、ご支援ご協力くださった皆様、また振り付けご指導くださったゆう先生、こころ先生、本当にありがとうございました。
長期間スタジオを開けなくてはいけないファイナル参加にあたり、何度もみんなと話し合いをするところから、今回の挑戦は始まりました。
日本予選を終えた後、プリコンペティティブ コンテンポラリー部門Top12、またアンサンブル部門三位入賞という結果の裏側で、負のエネルギーが発生するだろうと予想はしてましたが、私が想像してた以上でした。光があれば影がある。そこをあった事実として、どう受け止めるかかなり長い時間をかけて1人で悩み考えました。
ある程度考えをまとめてから、各ご家庭の考え方も尊重した上で「中高生を学校を休ませて挑戦させる意味や覚悟」を話し合いました。私にとっても、生徒一人一人にとっても、ご家族にとっても、程度は違えど犠牲を伴う挑戦だということ。すなわち「私たちは審査が終わるまで運命共同体」という事を理解させました。また女子のコミュニティあるあるの友達との人間関係による喧嘩など、今までは良く起きてました。「友達と仲間の違いとは何か?」から話し合いを始め、「友達に期待すること、仲間に期待することの違いはなに?」などをまとめ、良き仲間になれるよう努力させました。
そこに対する覚悟がまとまってきたなと感じたのは、最後の最後だったように感じます。東京新聞全国舞踊コンクールでは、まだまだ未完成だったため、彼女たちの中で出しきれなかった後悔を残し終わりました。そこから、あまり時間なく渡米でしたが、その反省をもとに向こうでの練習の調整が出来たように感じました。
向こうに着いてから審査まで5日程度ありましたが、初日の練習では調子上がらず移動後の調整の難しさを感じました。そこからは、他の教室の審査をみたり、気分転換をしたり、毎日誰ひとり気を抜かず、本当によく頑張ったと思います。YAGPのスタッフの方々は皆さんとても温かく受け入れてくださり、そこに包まれた夢や希望を持った子供達や先生方がたくさん集まる劇場は、まさにパワースポットでした。彼女たちの審査は舞台袖で見ていたのですが、それぞれが自分がやるべきことと向き合い、ちゃんと出し切って戻ってきたなという印象でした。審査を終えた彼女たちは、2年間踊り続けたこの作品を満足する踊りで終えられた事に感極まった様子でお互いを讃え合いながら涙を流してました。本当に素晴らしい仲間になれたなと思えた瞬間でした。
結果は関係なくこの歳でこんな経験をできた事に、踊りをやってきた同じ人間としては単純に「彼女たちが羨ましいな」というのが正直な感想でした。
次の日、ピーターズバーグという海岸沿いの観光地を訪れました。マーケットが出てたり、ビーチがあったり、美術館も点在した美しい街で、ビーチで少し遊んだ後、近くのダリ美術館を訪れました。最初にシアタールームでダリの活躍やその時代背景などをまとめた動画が見れたのですが、見た瞬間「青春フリーウェイ」の世界感とダリの思想シュルレアリスムに類似的があるように感じました。コンテンポラリーダンスを見ていると、モダンアート絵画を見ているようだなと感じてました。シュルレアリスムとは、第一次世界大戦後におこった文学や芸術の革新運動で「無意識」の領域を表現することで、本当の自己や思想を表現しようとした考え方です。芸術のほか、政治や思想、文学など多くの分野に影響を与えてます。画家ではミロのほか、ダリやキリコなどが有名です。コンテンポラリーダンスもストレートに受け取れる作品は少なく、見た後に観客側にその先の想像を委ねたり、人間の深層心理に潜むものが表現されていたり、そこを考えさせたり、とそんな感じと言いましょうか。まあ、どう受け取るかは自由なのですが、その辺りがモダンアートとよく似ているなぁと思います。なんて考えながら、美術館を堪能してきました。
12日間、生活面においても子供達は気を緩められない日々だったと思います。食事は毎日、持っていった鍋で夜ご飯を作りました。食後、どんなに疲れていてもみんなで洗い物をし、洗濯も洗濯袋という手動簡易洗濯機で各自で洗濯をし、夜ご飯の材料も歩いて15分位のスーパーに買いに行き、日々生きることに精一杯だったと思います。でも、それこそ、学校でなかなか教えてもらえない「生きる力」だと私は思ってます。
気を抜かず精進し、お互いを理解することにも努力をし、良き仲間となり、世界のTop12という素晴らしい結果まで頂いてきた彼女たちは私の誇りです。みんな、本当に良く頑張りました。また、そこにご理解を示して下さったご父兄の皆さま、本当にありがとうございました。(鈴木)